大多喜南無道場 妙厳寺

日誌記録

時事の事

季節ごとに住職が綴った「時事の事」の記録です

法華経第十五番目の従地涌出品で世尊は弥勒菩薩(みろくぼさつ)に告げられました。「この諸の大勢のおびただしい無量・無数阿僧祇(おびただしい数)を超える地から涌き出した者たちは、お前たちがまだ見たことのない者たちだが、彼等は私がこの娑婆世界でさとりを得已ってから、いろいろな菩薩を教化し、指導し、彼等の心を調えて、仏の道を求める心をおこさせたのだ。この多くの地涌の菩薩達は、この娑婆世界の下にある虚空の中に住んでいた。そして、いろいろな教典を読誦し、それらに通じていて、その教えを通して考え、ものごとをことわけして正しく記憶していた。」
 大地が割れて、そこから大勢の菩薩達が現れ出たということを、かって誰も見たことも、聞いたこともありません。これはどういう訳なのか、一体、彼等は何者なのかと、その場にいた者達は驚きであり、疑問でもありました。彼等は娑婆世界の下の虚空に居て、仏様が娑婆世界でさとりを得た後、これら諸の菩薩達を教化し、教導し、道を求める心を起こさせたと言うのです。
 この表現は、たんに数が膨大であることを表現しているのではなく、もっと別の意味、具体的なことを表すためと思えます。
  私たちは、通常、人間の視線でものを見、理解し、そして判断しています。しかし、一端、人間の視点から離れて、動物や昆虫、細菌類、それぞれの視点に立ってまわりを見回すと、人間の視点では知ることができなかった新しい発見が多々あります。
 地面に視線を下ろすと、バッタが巨大な顔を覗かせて、張り出した顎でバリバリ葉を食べています。きれいに一列に並ぶ蟻は、後ろの蟻に道を伝達するために、臭気を印しながら歩いています。そこには人間の観点とは全く異なった世界が広がっています。或いは、土の中には無数の、数え切れないほどの「いのち」が息づいています。人の目では定かではありませんが、一握りの土の中にも、何億・何千億という細菌類が生きているのです。
 木の葉は、落ち葉となって地面に落ち、地面の細菌類と出会って腐り、腐葉土となって、「肥えた土」になります。人間は、この肥沃な土を利用して、作物を作り、大いに収穫できることを喜びます。しかし、この肥えた土も、人の視点から離れると、木や葉を腐らせる様々な腐敗菌の活躍する場でもありますし、虫たちにとっては何よりの住み家でもあります。私たちの常識では考えられない生き方をしている生物もいます。地球上の全ての動物・植物、或いは細菌類までもが、互いに関連し合い、支え合い、絡み合って存在しています。
 それを法華経・従地涌出品では、「地涌の菩薩とその眷属たち」と表現し、様々なグループが数限りなく存在して私たちと関係していることを表しているのです。  まさに私たちは一人孤独に存在しているのでは無く、数限りないつながりの中で存在できているという「ご縁」といのちの世界の不思議を示し、仏教=法華経の教えの核心を表現しているのがこの従地涌出品だと言っていいでしょう。

 お釈迦さまの悟りに想いをはせるとき、ふと目についた路傍の草花や石ころ、そして私たち自身の存在まで、すべて「そこにある」ものごとの真実のすがたを表していて、何の偏見もなくありのままに見ることが大切になります。これはたやすいことではありません。幽霊の正体見たり、枯れ尾花なんてこともあります。私達の無知と誤解が偏見を生み、次第に憎しみに変わり、そのまま肥大していった最悪の結果が戦争です。
しかし法華経方便品の代表的な言葉である諸法実相(総てのモノが仏の意思を表している)という語に表されたものの見方・考え方は、まさに仏教の精華というべき法華経の根本精神なのです。人は必ず変われる、つまり成仏出来ると言うことです。
釈尊は諸法実相の教えを説かれましたが、それがあまりにも高度な内容であったため、舎利弗はじめ仏弟子達は仏さまのみ意をはかりかねました。彼らは仏に従い修行を積んで阿羅漢の悟りを得ていたのですが、真の仏智はそんな彼らにも遠く及ばなかったのです。すべての衆生を仏の悟りの世界に導こうとする大慈悲心の現れ、そうした仏の知見への道を大衆に明かしたのが「諸法実相」の教えです。釈尊がこの世に現われたそもそもの目的が「衆生をして仏の知見(認識・認知)を開かしめ、清浄なることを得せしめ、衆生に仏の知見を示し、衆生をして仏の知見を悟らしめ、衆生をして仏の知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう」であったことを私達は片時も忘れてはならないと思います。
「諸法実相」を説いた法華経第二章が「方便品(全てが悟りに至る手立て)」と名付けられ、次の「譬喩品」以下で説かれる有名な「三車火宅の譬え(煩悩の火宅から早く出よ)や「長者窮子の譬え(浮浪者が実は長者=仏の子)」等は「諸法実相」の思想を巧みな譬え話によって、わかりやすく説いたものに他ならないのです。

近の事件・事故などが象徴しているように、世の中には不安や悩みを抱えて日々を送っている人が多く居ます。私たちも時にそういう状況に陥ることがよくあります。
 一人一人が仏さま(宇宙の大いなる意志)からそれぞれに使命をいただいて、仏さまと同じ性質を持ってこの世に存在させられていると承知するのが仏教の基本的人間観・生命観です。だから人生途上における諸問題の答えは己自身の内なる本当の声によ~く耳を傾けてみることで全て得ることが出来ると云っているのがここに掲げた法句経の言葉と思えます。
 お金を出すことで病気や死が回避されるということはありません。そう思う人がいたら、仏教の何たるかを全く解っていない人ですし、若し解っているのなら、法句経のこの言葉をじっくり味わっていただければと思います。
もともと宗教・仏教は病気や死といった人が避けて通れない人生上の大きな課題を逞しく乗り越えていく広大無辺な理念(大いなる永遠のいのち)を示しています。その大いなる永遠のいのちが、この私の有限な肉体を貫いていること(仏性・使命)をしっかり確認出来た時に本当の安心が得られると思われます。だからこそ『己こそ己のよるべ』なのです。
妙厳寺・大多喜南無道場にご縁の深いみなさんにはこのことをくれぐれも承知しておいて欲しいと思います。
 尚、この巻頭のことばの後に「よく整えられし己こそ、まこと得がたきよるべとならん」という言葉をお釈迦さまが付け加えられていることを確認しておきたいです。
 さて、あなたは何をもって己を整えるか?「我慢偏執の心なく只(ただ)南無妙法蓮華経と唱うべし!」が私たちの宗祖・日蓮聖人の結論でした。

  私達はともすると自分の意志と工夫でこの命を保ち、日々を生きているかのように思い込みがちです。しかし実際は、目に見えるもの見えないもの、いろいろな縁に支えられてこの命を維持しています。例えば地・水・火・風は命が誕生し、保っていくために欠くことの出来ない重要な要素ですが、その中の「地」を例にとってみますと、小動物やバクテリアなどが、きちっとその役割を果たしてくれているお陰で、「母なる大地」として、新しい生命を育む力を保つことができます。そして私達人間も含めて地上の生命は、この土の化身と言っていいほど恩恵を受けているのですから、そうするとこの私の命は目に見えない地中の小動物やバクテリアが支えてくれていることにもなります。
 私たちの命はいろいろなものによって支えられていることに気がつきます。一日三回食事をします。調理してくれる人や材料になる作物を丹精こめて作ってくれた農家の方たちがいて、またその食材を運び、消費者に配ってくれる小売業の人など、多くの方がいたからこそ私たちは食事をすることが出来るのです。加えてその食材は大地が育んでくれたものであることをそれぞれに実感してもらえればと思います。
 私たち人間は決してひとりで生きているのではありません。天地自然の目に見えぬ“おかげさま”のたまものであることを承知することがとても大事だと思います。
 進行性筋ジストロフィーという難病で、十七歳で亡くなった若者の詩「一本のロウソク」を紹介します。
「たった一本のロウソクでも/人間以上のすばらしい生き方をしている/火をともしたロウソクは自分の体をも/とかしながら人につくそうとし/とろとろと汗をながしながら働く/最後には体がなくなってしまうのに/短いその命なのに悲しまず/たえしのび/ああ ああ ロウソクよ ロウソクよ/僕はお前のようになりたい」
 不自由な身体で余命わずかという境遇にありながら、恨むことも、愚痴ることもなく、「自分もロウソクのように人につくしたい」という彼の叫びは、強く心に響きます。彼もまた生きる意味、おかげの心を私たちに教えてくれる尊い菩薩の一人と思えます。

 目に見え見えないけれど確かにある実存的真実(真理・法・妙法)を人格化して「法身」呼びます。このことは万有引力に例えてみるとよく解るのではないでしょうか?引力は十七世紀にイギリスの物理学者ニュートンが発見する以前から実在しています。存在しながら誰にもわからなかったのです。発見者のニュートンは人間ですから有限な存在ですが、引力は永遠に在り続けている科学的真理です。
但し、お釈迦さまとニュートンの異なりは科学的真理の発見ではなく、宇宙と人生に通ずる真理(妙法)をさとった点にあります。発見もさとりも、それまでは誰にも知られずに存在していた事実を、はじめて見出す意味においては同じです。但し、発見は主として自分より外側に見出すことですが、「さとり」は自分の内側に会得して、人生といのちの営みの真実をうなずきとる、つまり自分の中に内在する宇宙的永遠性に気づくところに違いがあります。
いずれにしてもこの万有引力のことは法華経寿量品(自我偈)の「永遠のいのち」を理解するのに格好の例話と思われます。引力というのはニュートンが発見したわけですが、ニュートンが発見してもしなくても万有引力は存在していたわけです。そして、ニュートンが死んだのちも存在しています。つまり永遠に実在し続けている=これを専門的には「久遠に実成している、つづめて久遠実成」と言っているわけです。
有名な自我偈・冒頭のフレーズが示す久遠実成の本師釈迦牟尼仏のイメージはこの万有引力のようなものであると言えます。私たちはお釈迦さまというとインドに生まれインドでなくなられたお釈迦さまを考えがちです。確かに法華経以前の思想ではそうなのですが、この法華経で説かれるお釈迦さまはインドに生まれインドでなくなられたお釈迦さまにとどまらない、永遠のいのちを持った「久遠に実成」したお釈迦さまなのです。

 法華経の教えは持ち難く、信じがたい。これまでの経験に基づき、現状を楽しみ、喜び、執着し、その偏狭な世界でかりそめの安住を求める人たちにとってお釈迦さまのことばが届くのは容易ではないと言われています。仮に届いたとしても、人はこれまでの経験・言語習慣に従って理解してしまうので誤解を招きかねないのです。 その辺のところを私たちがよく読む法華経見宝塔品の偈で「此経ハ持ツコト難シ」と言っています。一切の執着対象を捨て去り、覚りの境地である涅槃を得るためには約二千年にわたって多くの人々に読まれ、親しまれて来た「法華経」に対する一念の信が先ずもって重要になりそうです。その信じ難く、持つこと難いという難問を突破していく大きな手がかりになるのが「以信代慧」です。「信を以もって慧に代える」と訓読みします。これは信の一念をもってあらゆる智慧の修行に代えるということです。そこにこそ仏法の一切の修行とその功徳が具わっていることを明かしてくれているのです。
 「虚仮の一念岩をも通す」という言葉もあります。愚かな者でも一念の信を持ってひたむきに行えば大きな仕事が出来るとの意味です。たわいもない水の滴りが岩をも穿っていく、つまり雨だれが落ち続けることで固い岩にも穴を開けていくことが出来ます。一見、無駄に思える事も愚直に行い続ければやがて大きな実を結ぶという教訓です。
 法華経の基本理念は「一切衆生 悉有仏性」です。すべての生きとし生けるものは悉く仏性、すなわちそれぞれにかけがえのないいのち(個性、持ち味)を持って生まれて来ているということです。ちょっと詩的に表現すれば「人、みなに美しき花あり」ということになります。皆、それぞれにかけがえのないいのちを仏・神・ご本仏から授かってこの世に何らかの使命・役割(個性・持ち味・特質・長所)を持って生まれてきた、あらしめられた存在です。比較できない、代理のきかない存在、それぞれに特性を持った美しい花なのです。それは私たち一人一人が皆、仏子・仏使であるとの自覚を持つことでもあります。 仏性をもともと内在している私たちは仏教の根本たる法華経を承知できる潜在能力が既に備わっていると言っていいでしょう。その能力を開発する手続きが「一念の信を持って行ずる唱題修行」です。
 「信の一念」(お題目)という鍵を持ちさえすれば法華経の教えはそんなに持ち難くないのです。

元NASAの宇宙飛行士・航空宇宙工学コンサルント、リ・ロイ・チャオ氏の言葉を紹介します。「私は約二三〇日もの長い時間を宇宙で過ごすという貴重な体験をしました。地球はとても美しく、特に宇宙からの眺めは本当に素晴らしいものでした。その美しさは特別で、宇宙にいる間、時間があればいつでも地球を見て写真を撮っていたほどです。このように美しく、素晴らしい地球が何らの意志なく偶然に出来たとはとても思えません。宇宙飛行士という仕事は、私に美しい地球を見せてくれただけでなく、環境を守っていくことがどれほど大切かということを考えさせてくれました。私たちは、この美しい地球を守っていかなければなりません」。この宇宙飛行士のコメントから、私達いきとしいけるモノは何時の世にも仏さまと共にあり、そのご本仏は常に私たちを見つめ、慈しみ、気づかせ、ご自身と同じ心境にしたいと慮ってくれていることを感じ取っていただければ幸いです。
 私たちが法華経・題目に出会うということ、法華経・題目との縁を結ぶということは、はるかな過去から現在にいたるまで数えきれないほど何度も何度も教化、つまり教えを聞いていたということです。つまり下種=種を埋め込まれていたからだと言うことも出来ます。ご本仏は決して私たちを見放さないのです。ご本仏は何時も私たちのことをご自身と同じ心境にしたいと願ってくれているのです。
 お題目・南無妙法蓮華経を唱えることでみな仏さまに愛でられ、仏さまのみ心、み手の中に奇跡的に生きている、そのことが認識出来ると宗祖は言っておられるのです。成仏を妨げる頑迷な自我意識を少しでも取り除き、仏になる心境を開いていただくためには仏教が有史以来提供しているプラクティス・唱題と言った伝統的行法がそういったありのままの事実を「そうだ!」と感じ、受けとめてもらうためにとても有効のようです。人生の岐路で本当に判断に迷い、身の処し方に迷ったら本仏=南無妙法蓮華経と一体となる「お題目」をひたすらに唱えることで内なる本仏に率直に聞いてみることが肝要です。

行事日誌

1月1日 新年祝祷会並びに新春特別祈願

お釈迦さま、日蓮聖人、檀信徒ご先祖の御宝前に新年のご挨拶と一年の健康・息災を祈り、新春を檀信徒の皆さんと共に寿ぎました。
 また申し込まれた各々の新春特別祈願が執り行われました。それぞれに思いを込めて御宝前に敬虔な祈りを捧げていました。そして今年もお寺の役員さん方により山門に見事な門松が飾られました。

3月21日 春季彼岸会中日法要

本明寺は午前九時から、妙勧寺は午前十一時から、妙厳寺は午後二時からそれぞれ法要が営まれました。大勢の檀信徒が参詣され、ご先祖並びに志す霊に報恩・感謝の読経・唱題とご回向を捧げました。また法要の前後には住職から「世界は本来シームレス(境目無く)に出来ている。人間はすぐ境目・差別を作りたがる。それが人の苦しみや争いを起こす。全ての人を敬った常不軽菩薩の振る舞いは題目信仰を可視化したもの。」などといった法話がありました。

4月20日~23日 東京国際仏教塾第一回修行

今年も日本の精神・文化の基盤となっている仏教を体系的、体験的に学ぼうという趣旨で開設されている東京国際仏教塾の第一回修行が妙厳寺にて開催されました。三十数名が来寺、二泊三日間、法話を聞いたり、行法、作務、仏法に則った食事作法等に汗を流しました。

6月16日 西畑組信行会

今年の西畑組信行会も例年通り六月十六日(日)九時半より妙厳寺において開催されました。本堂において開会式の後、司法書士・貫名真人先生より「後見人制度と死後事務委任制度から考える」と言うテーマのお話を伺いました。いずれ迎える私たちの死、その時、自身の葬儀や相続などがスムーズに進められるよう日頃からの心がけと準備の必要性についての話でした。昼食を挟んで戸田教雄上人による気功の手ほどきを本堂において受け、心身共にスッキリする体験をしました。続いて本堂で閉会式を行い充実した一日を締めくくりました。 ご参加の檀信徒のみなさん、お疲れさまでした!

8月9日~11日 夏休み山寺留学

最初に孟宗竹切り倒し、マイ箸づくり、記念撮影後、野菜(ナス・キュウリ・ジャガイモ等)収穫をしました。作業後の子供達の満面の笑顔が印象的でした。本堂で食事についての法話を聞き、夕食を食べ、瞑想の後、入浴・就寝。翌二日目はお堂で朝のお勤めをし、朝食。午前中檀家の酪農家・苅米牧場を訪れて牛の飼われ方などを見学し、餌やりを体験。牧場の木陰でお握りの昼食をとりました。午後はそのまま近くの小笠原養鶏所を訪問。鶏の飼われ方を見学した後、餌やりと採卵を体験してお寺に戻り、採卵したゆで卵もメニューに入った夕食を食べました。瞑想、花火大会、入浴、就寝。翌三日目はお勤め・朝食後、寺から徒歩十五分程の川に行き、水遊びをおおいに楽しみました。寺に戻り定番のカレーライスの昼食、閉校式後解散しました。
今年は命の観察とフィールドスタディのプログラムでした。参加の子供十八名・スタッフ十四名が楽しく、有意義に過ごした二泊三日の山寺留学となり、心の育つ体験が出来たと思います。
 野菜作りをし、また暑い中、子供達への説明などして下さった山口 清総代さん有難うございました。

8月13日~15日 お盆棚経廻り

三日間、住職、法拳、法盛、法典が檀信徒各家の精霊棚にお寺から伺って読経・唱題のご供養を行いました。在宅の方と一緒にお参りし、お題目を唱え、お焼香をしてご先祖への供養の誠をささげることが出来ました。

8月16日 盂蘭盆施餓鬼会法要

本明寺は十一時、妙勧寺は一時より執り行いました。檀信徒の皆さんと共に先祖の追善供養を行い、特に本年新盆に当たるお檀家は親族・縁者が多数お参りくださり、新盆の御霊に供養の志を捧げました。

8月24日 妙厳寺・盂蘭盆大施餓鬼会法要

猛暑の中、施餓鬼ならぬ大汗かき?の大施餓鬼会法要となりました。僧侶・檀信徒が共に亡きみ霊への報恩感謝の法要を執り行ないました。法要終了後には、恒例の新盆を中心とした各御霊への諷誦文(法華経や日蓮聖人のご文章の要文)奉読とその施主を読み上げる法会が行われました。ご参列の檀信徒の皆さまには猛暑の中、本当にお疲れさまでした。

9月23日 秋季彼岸会中日法要

妙勧寺は午前十一時より、妙厳寺は午後二時より法話・法要が行われました。天候にも恵まれ、実りの秋、営々と田畑を耕し現在に伝え、今日の礎を築いてくれたご先祖へ感謝の気持ちを捧げました。

10月6日 平沢鬼子母尊神秋祭り

年に一度の霊験あらたかな末法の題目信徒並びに平沢地区守護の鬼子母尊神さまのお開帳。鬼子母神堂内で法楽法要、堂前で区民のお払いを行う。その後、客殿でお囃子保存会の子供たちが練習の成果を披露、区民の皆さんも神酒をいただきながら歓談、意思疎通のひと時を楽しんでいるようでした。

10月28日 平沢地区稲荷幣束入れ

法典・法盛の二名が平沢中の檀家にくまなくお伺いし、お稲荷さんの新しい幣束をお供えして今年のもろもろの収穫に感謝の気持ちを捧げ、あわせてご一家の繁栄とご家族の無事息災を祈念いたしました。

11月16日~17日 仏教塾専門過程開始

日本の精神・文化の基盤である仏教を体系的、体験的に学ぶ趣旨で開設されている東京国際仏教塾の後期・専門コース(日蓮・法華部門)の第一回が妙厳寺で十一月から始まりました。来年三月まで月一回のペースで開催されます。

11月23日 日蓮聖人七百三十八遠忌報恩法要お会式

午後一時よりお会式法要が行われ、練習を積み重ねている和讃会も法要に加わって和讃を奉唱しました。法要後、恒例の本門寺ボーイスカウトと今年は前田宣明師住職・池上養源寺の万灯講よる練供養ありました。続いて本堂内にてアクロバットパフォーマンス(ミニサーカス)の公演がありました。みんな感嘆の声を上げ、大いに楽しみました。締めくくりに客殿で参列の皆さんと清宴を持ち、懇親を深めました。

1月1日 除夜の鐘・新年祝祷会並びに新春特別祈願

午前零時、住職の第一鐘と共に「明けましておめでとうございます!!」の挨拶を交わし、続いて参詣の皆さんが梵鐘を撞きました。午後二時より新年祝祷会並びに新春特別祈願を一緒に行い、お釈迦様、日蓮聖人、皆様のご先祖に新年のご挨拶と一年の健康、それぞれの方の特別祈願を行いました。 節分厄除け祈願も一緒に行いました。昨年来の正月行事の改善により、お陰で元旦に大勢の方々がご参列・お参りされました。その後、何時も通り客殿にてみなさんとお屠蘇をかわして新年を寿ぎました。

3月21日 春季彼岸会中日法要

少々雨気味、大方曇りといったお天気状況でしたが、本明寺は午前九時から、妙勧寺は午前十一時から、妙厳寺は午後二時からそれぞれ法要が営まれました。農繁期を直前にして何かと気ぜわしい中、大勢の檀信徒が参詣され、ご先祖並びに志す霊に報恩・感謝の読経・唱題とご回向を捧げました。また法要の前後には住職からむさぼり・怒り・愚痴を超える道について法話がありました。

4月21日~23日(A組)・5月3日~5日(B組) 東京国際仏教塾第一回修行

今年も日本の精神・文化の基盤となっている仏教を体系的、体験的に学ぼうという趣旨で開設されている東京国際仏教塾の第一回修行が妙厳寺にて開催されましたA・B組の二回に分かれ四十数名が来寺、二泊三日間、法話を聞いたり、行法、作務、仏法に則った食作法等に汗を流しました。

6月10日 西畑組信行会

今年の西畑組信行会は例年通り妙厳寺において僧侶であり、医師でもある千葉大学付属病院の竹内公一先生より「医療の限界・社会の力~認知機能低下 を怖れない~」と言うテーマのお話を伺いました。その後、昼食を挟んで本堂において唱題行を行じ、心身共に浄められる体験をしました。ご参加の檀信徒のみなさん、お疲れさまでした!

8月4日~5日 夏休み山寺留学

最初に竹切り倒して、箸づくりをし、記念撮影後、地元の妙厳寺の檀家の方が栽培してくれた野菜収穫(ジャガイモ)をしました。本堂で食事=「いのちをいたいだく」についての法話を聞き、夕食を食べました。瞑想・法話=「ご馳走さまでした!の意味」の後、花火大会をして入浴・就寝。翌二日目は先ずお堂で朝のお勤めをし、朝食後オリジナルの腕輪念珠作りをしました。野外ゲームをして、昼食後の閉会式ではその念珠に魂入れの祈願を行いました。
昨年同様JR品川駅より送迎バスが用意されました。参加者は十五名ほどでしたが、夏休みの僅かな一時、心の育つ、未来に役立つ野外体験・学習が出来たと思われます。
 今年も檀家の皆さんのお力添えで子供達は野菜を収穫する喜びを味合うことが出来ました。作付けや管理、農作物が出来る過程を説明して下さった山口 清総代さん、野菜作りに精を出して下さったお檀家の有志のみなさん本当に有難うございました。

8月13日~15日 お盆棚経廻り

お盆の三日間、住職、法拳、法靖、法盛、法典が檀信徒各家の精霊棚にお寺から伺って読経・唱題のご供養を行いました。在宅の方と一緒にお参りし、お題目を唱え、お焼香をしてご先祖への供養の誠を捧げました。

8月16日 盂蘭盆施餓鬼会法要

本明寺は午前十一時、妙勧寺は午後一時より執り行いました。共に先祖の追善供養を行い、特に本年新盆のお檀家は親族・縁者が沢山お参りくださり、新御霊に供養の誠を捧げました。

8月24日 妙厳寺・盂蘭盆大施餓鬼会法要

  台風余波の中、大施餓鬼会法要がおこなわれました。僧侶・檀信徒共に亡きみ魂への報恩感謝の法要を執り行ない、法要終了後には、恒例の新盆を中心とした十五各御霊への諷誦文(法華経や日蓮聖人のご文章の要文)奉読とその施主を読み上げる法会が行われ、今年は副住職も半分担当しました。

9月23日 秋季彼岸会中日法要

  妙勧寺は午前十一時より、妙厳寺は午後二時より法話・法要が行われました。次々と命を繋いで、田畑を耕し、豊かな土地を継承して来てくれたおのおのご先祖のみ魂に感謝の思いを捧げ、塔婆供養を捧げました。

10月2日 平沢鬼子母尊神秋祭り

 年に一度の霊験あらたかな平沢地区ご守護神・鬼子母尊神さまのお開帳。御輿を鬼子母神堂前に飾って法楽加持と集まった檀信徒のお払いを行い、お寺の客殿において子供たちがお囃子を披露。平沢区民の皆さんも神酒をいただきながら歓談し、コミュニケーションを深めました。来年からはどういう方法であれ、御輿が平沢中を行き来するようにしようとの意見が多数でした。住職からも「平沢区の御守護神としてお祀りした歴史を思うと渡御しないのは尊神様に申し訳ない」との言葉があり、軽トラの荷台にお乗せして渡御するのもこの時代ありかと思われます。

10月28日 平沢地区稲荷幣束入れ

 法靖・法典・法盛の三名が平沢中の檀家にくまなく伺い、お稲荷さんの新しい幣束をお供えして今年の収穫に感謝の気持ちを捧げ、あわせてご一家の繁栄とご家族の無事息災を祈念いたしました。

11月10日~11日 仏教塾専門過程始まる!

 日本の精神・文化の基盤である仏教を体系的体験的に学ぶ趣旨で開設されている国際東京仏教塾の後期・専門コース(日蓮・法華部門)が妙厳寺で始まりました。来年三月まで月一回のペースで開催されます。今年は男性二名、女性一名合計三名の塾生が参加しています。

11月23日 日蓮聖人七百三十七遠忌報恩法要お会式

 午後一時より日蓮聖人の七百三十七遠忌報恩法要お会式を行いました。練習を積み重ねている妙厳寺、妙光寺、本迹寺の和讃会の皆さんが法要中、奉唱をしてくれました。午後二時より、女子東音会の皆さんによる長唄三味線の演奏が行われ、雅な音色を楽しみました。その後はボーイスカウトの万灯練供養が行われ、続いて客殿で祝宴がありました。

12月13~15日 年末御守護札入れ

  住職・法靖・法典・法盛が家内安全・火伏せ・魔除けの三種類のお札や寺報をもって各檀家を廻り、お札を祈願の読経と共にお入れして、新しい年を迎える準備をしました。
三十日(火)午後五時 祈願札等開眼とお焚き上げ式祈願札・守護矢などの開眼をし、お焚き上げ式では古い祈願札や古いお塔婆等をお焚き上げして、平成三十年が無事過ごせたことに感謝の思いを捧げました。

12月31日 午前零時 除夜の鐘

 午前零時、住職の第一鐘と共に新年の挨拶をし、新春を寿ぎました。檀信徒の皆さんは打鐘後、本堂にお参りし、それぞれに新年の挨拶を交わしていました。

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