大多喜南無道場 妙厳寺

日誌

時事の事

日常の事柄を踏まえて住職が語ります

私達の生きるより所である法華経の前半を代表する章が方便品、そこに説かれているところを理解するキーワードが「諸法実相」という言葉です。諸の法(あらゆる存在や現象)はすべてが実相(ありのまま、真実の姿)である。しかもこのことをしっかり観ることが出来るのは「唯仏与仏」=唯、仏と仏のみ、つまり仏さまと同じ境地を開き、仏さまと同じ眼を持った人のみなのです。諸法実相はなかなかややっこしいです!これを何とか解るようにしたい思います。
「水波のたとえ」というのが解りやすいかもしれません。海の波は大きいモノや小さいモノ、縦波・横波、サザ波、三角波、怒涛など様々ありますが、元々は同じ海水がそれぞれの姿で現れています。つまりいずれも海水と言う一水の成せるワザだということです。この世のあらゆる存在・現象もまた同じです。それは宇宙の大きな生命のリズムであって、表れた現象は様々あるけど、みな同じ宇宙の鼓動である事に違いは無いのです。この宇宙には生命にとって海水のような媒体(妙法)が満ちており、それが変化して様々な物質・現象として表われているだけなのです。人々やこの世に存在するあらゆるモノ・現象はみな大本が同じであると言うことです。私達は自分と他人を区別していますが、本来は同じモノから遣わされた生命体であり、運命共同体です。
日蓮聖人はそうした法華経の「諸法実相」の教えを「吹く風、揺るぐ木草、流れる水の音までも妙法の五字を唱えずということなし」と表現されました。
「諸法は実相」を実感したと思われる例を紹介してみます。
それはモーツァルトです。一点の翳りもない、どこまでも透き通った青空のような美しさ、これがモーツァルトの音楽の特徴です。特に彼の最晩年、死を間近にした時期に作曲された作品には一種独特の美しさにあふれています。彼岸から吹いてくる風、その風が音楽になってしまったとでも表現するしかない美しさです。これは「末期の眼」を持ってしまった人間が自分の眼に映る世界を表現したように思われます。人間は心の底から、この世に「サヨナラ」を告げる気持ちになりきった時、すべてのものが限りなく美しく見えてくるようです。モーツァルトは父親に宛てた手紙でこんなことを書いています。「数年このかた、死は人間の最上の真実な友だという考えにぼくはすっかり慣れています。その結果、死はぼくにとって、もはや恐ろしくないだけでなく、大いに心を慰めてもくれます。そしてぼくは死こそ真の至福への鍵であることを知る機会を与えてくれた神に感謝しています。…中略…ぼくはまだ若いけれど、おそらく明日はもうこの世にはいまいと思わずに床についたことはありません。」死を覚悟し、受け容れた人間には、すでにその人を迷わす欲が無く、まさに「諸法は実相」、物事をありのままに見て取ることが出来るようです。

行事日誌

2019(平成31・令和元年)年

12月13日~15日 年末御守護札入れ

住職・法典・法盛が家内安全・火伏せ・魔除けの三種類のお札をもって各お檀家を廻り、お札を入れて新しい年の幸多きことをお祈りしました。

12月21日 身健康講座開催

心・身=体いずれの健康も自分自身で心掛けて作り上げていくのが基本です。そこで心身健康講座(セミナー)を開催しました。 伝統的な読経・唱題行によって心を整え、漢方医・髙橋洋輔先生からは「予防医学」「健康積立」ということで、自分で出来る健康増進・維持の方法を話しと共に具体的なやり方を手ほどきしてもらいました。

12月30日 守護矢等の開眼お焚き上げ

例年通り守護矢・お守りなどの開眼とお焚き上げ式は三十日午後時より実施しました。参詣者が集まって古い祈願札や古いお塔婆等感謝を込めてお焚き上げしました。

令和二年正月元日 除夜の鐘・新年祝祷会並びに新春特別祈願

午前零時、住職の第一鐘と共に「明けましておめでとうございます!!」の挨拶を交わし、続いて参詣の皆さんに梵鐘を撞いていただきました。午後二時より新年祝祷会並びに新春特別祈願を一緒に行いました。お釈迦様、日蓮聖人、皆様のご先祖の御宝前で新年のご挨拶と一年の健康、それぞれのご祈願を行いました。例年同様節分厄除け祈願も共に行いました。お陰で大勢の方々にご参列・お参りいただきました。その後、何時も通り客殿にてみなさんとお屠蘇をかわして新年を寿ぎました。

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